埼玉・朝霞の耳鼻科 さない耳鼻科クリニック 中耳炎治療、副鼻腔炎治療

さない耳鼻科クリニック新着情報

2008年3月31日

四谷の桜

sakura

昨日、四谷の土手で桜をみてきました。上智大学脇にある桜並木です。院長は、青春時代から何かことあるごとにこの桜に語りかけてきました。きっと、春には、自分の人生に大きな転機が訪れる事が多いからでしょう。
 初めての大学受験に失敗して、暗い思いで歩いたのもこの土手。翌年、希望の大学に入ったけれど、その先何をやってよいのかわからなくなって留年し、絶望の淵をさまよったときも、毎日ここにきては自問自答を繰り返しました。初めてのボーイフレンド(?)と歩いたのもこの土手。アフリカで餓えて死んで行く子供たちを実際にみて、医学部受験を決意したのもここ。受け持ちの患者さんが亡くなって、どこに怒りを向けてよいかわからなくなったときもここに来ました。息子が生まれたとき、子育てに迷った時、母が亡くなった時。開業を決意したのも、2年前の春、ここでした。
 朝霞で開業してもうじき9ヶ月。今、さない耳鼻科クリニックはようやく医院としては軌道に乗ってきました。花粉の時期には、1日に100人近くの方々が来院され、なんとかそれぞれの方達の医療に対するご希望をつかもうと努力してきたつもりです。が、来院患者数が増えれば、待ち時間は長くなり、お一人お一人に割ける時間も限られてきます。耳鼻科として、どんなスタンスで診療を続けて行くのか、ここで、もういちど見直す必要があると思っています。
 花粉も下火になり、風邪の子供たちも良くなってきて来院人数が減り、今日は久しぶりにゆったりとした診察ができました。2年前に開業を決意したときの初心を思い出して、どんな小さな事もおざなりにしない、丁寧な診療を心がけようと改めて自分自身に言い聞かせています。

sakura2

2008年3月24日

坂の上の雲

坂の上の雲(司馬遼太郎)読了!!

 昨年末から読み始めて、途中で挫折しかけましたが、ついに文春文庫全8冊を読了しました。明治のはじめに同郷の四国松山で生まれた、正岡子規、秋山好古,真之の3人の生き様を、日露戦争をクライマックスとして描いた長編です。はじめの頃は、個人の生い立ちや、エピソードが中心となって描かれていて、ふむふむ、という感じで読んでいましたが、次第に司馬遼太郎は緻密な歴史家となって行き、膨大な戦争の資料と真正面から格闘している様が読み取れて、私も居住まいを正さなければならなくなっていきました。
 身を賭して、新政国家を守ってくれた無名の若者たち、精神論に走らず冷静に戰局を分析しながら、国の存続のために“戦争”を遂行して行った明治の指導者たち。司馬は再三、後の太平洋戦争(対米)の無謀さと比較しながら、事実のみを克明に列挙して行きます。
 戦争で亡くなって行った人たちの数や出身地や年齢や、砲弾、銃、戦艦の装備やらの数字をみていると、戦争は悲惨だ、戦争反対、と何百回聞くよりも、ずっと心に迫ってくるものがあります。逆に、こんな悲惨な目に国民が遭わないためには、しっかりとした展望を持った指導者のもと、しっかりとした国の備えも必要だろうと思いました。
 今の政治はいったい何をやっているんだろう。今の自衛隊はいったい何をやっているんだろう。
 4月からは診療報酬が大きく変わり、7月からは、特定健診なる、特定の業者さんが儲かるようになっている未だよくわからない健康診断も始まります。メタボリックシンドロームを前面に押し出して予防医学を強調する事により、結局は、今、困っている病者を切り捨てていく施策だと私は思っています。こんな大きな改革を進めているのは、明治の指導者のような、日本のために身を賭して尽くしてくれる人たちなのだろうか? 私は不安でいっぱいです。
 今日はちょっと、言い過ぎました。さない院長は少し疲れ気味です。