伊藤和也氏の死を悼む

 一人の若者が、異国の地で亡くなりました。私の胸は張り裂けんばかりに痛み、それはどうやっても癒す事はできないでしょう。
 遠く、過酷な風土の中で、一人の日本人が現地の方々のために身を賭して働いていた。それは日本人として、誇りにすべき事実です。エチオピアでも人道支援のために働いていた女性医師が誘拐されたとの報道がありました。日本人が世界中に出かけて、様々な活動を行っていることの証でもあると思います。しかし、私自身の思い出と重なって、いたたまれない思いが増して行くばかりです。
 その昔、はじめの大学を卒業したあと、自分が進むべき道が見いだせないまま、私は基礎研究の職をみつけてアフリカの地に旅立ちました。2年間、現地の方々とともに働きました。ウイルスの分離・同定のため病院を回り、資料を集め、アフリカ特有の病気の解明に少しでも役立ちたいと駆け回っていました。そんな日々の中から、自分が進むべき方向が次第に形をとって見えてきた事を思い出します。いつかはアフリカに帰ろう、と想いつつ年齢を重ね、親や、家族や、患者さんや、いろいろなものを背負うようになって、いろいろな出会いがあって、結局私は今、この朝霞で医者としての最後を締めくくろう、と決心しています。しかし、志半ばで倒れた伊藤氏を思うと、彼にはどんな人生があったんだろう、これからどんな出会いがあったんだろう、彼がアフガンで何をみつけたんだろう、と、無念な気持ちが頭をよぎって仕方ありません。
 彼を殺害した犯人が、元々アフガニスタンの難民で、パキスタンのハリプールにある難民キャンプで暮らしていた,という報道にも、驚きました。私は、父の仕事のため、10歳の頃、ハリプールで暮らしていたのです。過酷な風土でした。日中の屋外の気温は50度に達する事もありました。ちょうど、印パ戦争が勃発する直前でした。アフガニスタンとの国境には、銃を構えた兵士が立ち、子供心にも,何か緊迫した雰囲気を感じていました。温暖な日本の風土の中で、穏やかに暮らしている私たちには想像できないような、民族の対立、生活の厳しさ、宗教上の戒律、諸々の問題がその頃から、ずーっと続いているんだなあ、と思うと、一つの断面だけを報道から知るだけでは、この事件の背景にある奥深さは計り知れないと感じています。
 異国の地で散った、若い,誠実な志に、心から哀悼の気持ちを捧げるとともに、心からの尊敬の念を捧げます。きっとアフガンの人たちの心の中に、彼は何かの種をまいてくれたと信じます。どうぞ安らかに。