埼玉・朝霞の耳鼻科 さない耳鼻科クリニック 中耳炎治療、副鼻腔炎治療

さない耳鼻科クリニック新着情報

2008年9月30日

伊藤和也氏の死を悼む

 一人の若者が、異国の地で亡くなりました。私の胸は張り裂けんばかりに痛み、それはどうやっても癒す事はできないでしょう。
 遠く、過酷な風土の中で、一人の日本人が現地の方々のために身を賭して働いていた。それは日本人として、誇りにすべき事実です。エチオピアでも人道支援のために働いていた女性医師が誘拐されたとの報道がありました。日本人が世界中に出かけて、様々な活動を行っていることの証でもあると思います。しかし、私自身の思い出と重なって、いたたまれない思いが増して行くばかりです。
 その昔、はじめの大学を卒業したあと、自分が進むべき道が見いだせないまま、私は基礎研究の職をみつけてアフリカの地に旅立ちました。2年間、現地の方々とともに働きました。ウイルスの分離・同定のため病院を回り、資料を集め、アフリカ特有の病気の解明に少しでも役立ちたいと駆け回っていました。そんな日々の中から、自分が進むべき方向が次第に形をとって見えてきた事を思い出します。いつかはアフリカに帰ろう、と想いつつ年齢を重ね、親や、家族や、患者さんや、いろいろなものを背負うようになって、いろいろな出会いがあって、結局私は今、この朝霞で医者としての最後を締めくくろう、と決心しています。しかし、志半ばで倒れた伊藤氏を思うと、彼にはどんな人生があったんだろう、これからどんな出会いがあったんだろう、彼がアフガンで何をみつけたんだろう、と、無念な気持ちが頭をよぎって仕方ありません。
 彼を殺害した犯人が、元々アフガニスタンの難民で、パキスタンのハリプールにある難民キャンプで暮らしていた,という報道にも、驚きました。私は、父の仕事のため、10歳の頃、ハリプールで暮らしていたのです。過酷な風土でした。日中の屋外の気温は50度に達する事もありました。ちょうど、印パ戦争が勃発する直前でした。アフガニスタンとの国境には、銃を構えた兵士が立ち、子供心にも,何か緊迫した雰囲気を感じていました。温暖な日本の風土の中で、穏やかに暮らしている私たちには想像できないような、民族の対立、生活の厳しさ、宗教上の戒律、諸々の問題がその頃から、ずーっと続いているんだなあ、と思うと、一つの断面だけを報道から知るだけでは、この事件の背景にある奥深さは計り知れないと感じています。
 異国の地で散った、若い,誠実な志に、心から哀悼の気持ちを捧げるとともに、心からの尊敬の念を捧げます。きっとアフガンの人たちの心の中に、彼は何かの種をまいてくれたと信じます。どうぞ安らかに。

2008年8月13日

i-podデビュー と 一人の世界

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生まれて数十年にして、はじめて携帯音楽プレーヤーなるもので音楽を聴いてみました。衝撃的でした。
 何が? 
 一つは音響の素晴らしさ。まるで自分が異次元の世界にいるようで、電車に乗っているときも、歩いているときも、家事をしているときも、心地よい音楽に身を委ね、その日の憂さを忘れてしまい、夢ごこちの至福のときを味わいました。しかし・・・・。いつのまにかやめてしまいました。
 なぜ?
 怖くなったのです。音楽を聴いている時、その音楽の世界に入り込んでしまうと、自分と外界が全く隔絶されてしまい、目の前を行き過ぎる人々や、店先の商品や、木々の緑の変化や、子供たちの笑顔が、自分とは全く関係のないただの背景として後退してしまい、私だけが今存在しているような、妙な感覚にとらわれてしまったのです。
 町で、乗り物の中で、見回せば多くの方たちがイヤーホーンやヘッドホーンをつけて何かに聞入っています。でも、その人たちは、眼の前にいる私たちには、何の興味もなく、その存在さえも認識していないかもしれない。満員の電車の中で、リュックが触れて迷惑そうにしている後ろのおばさんや、出口に立たれてイライラしている降車中のおじさんなんか、気にもならないかもしれない。みんなが自分一人の世界に浸っている公共の場、なんて、なんだかとっても恐ろしい。
 
 いかにも年寄りくさい雑感を、久しぶりのブログで書いてしまいましたが、
院長は夏期休業中に、京都の某所にこもって、ずっとデッサン修行をしていました。一人の世界に浸るなら、浸るべき場所で、というのが、年寄りの素直な気持ちです。町中で、クリニックの中で、人と人とが交わる場所では、おおいに語り、周りの人間の表情から、行動から、世の中を覗き見、移り変わる自然の色合いに季節と時の流れを自覚する。そんな生活を続けて行きたいものです。
 長い間、ブログをお休みしました。院長も、人間ですから、たまには落ち込んでなかなか立ち直れない事もあります。久しぶりに絵を描いて、気持ちの余裕を取り戻しました。朝霞の方たちのために、耳鼻科の病気で困っていらっしゃる方々のために、気持ちを新たに頑張ります。

2008年3月31日

四谷の桜

sakura

昨日、四谷の土手で桜をみてきました。上智大学脇にある桜並木です。院長は、青春時代から何かことあるごとにこの桜に語りかけてきました。きっと、春には、自分の人生に大きな転機が訪れる事が多いからでしょう。
 初めての大学受験に失敗して、暗い思いで歩いたのもこの土手。翌年、希望の大学に入ったけれど、その先何をやってよいのかわからなくなって留年し、絶望の淵をさまよったときも、毎日ここにきては自問自答を繰り返しました。初めてのボーイフレンド(?)と歩いたのもこの土手。アフリカで餓えて死んで行く子供たちを実際にみて、医学部受験を決意したのもここ。受け持ちの患者さんが亡くなって、どこに怒りを向けてよいかわからなくなったときもここに来ました。息子が生まれたとき、子育てに迷った時、母が亡くなった時。開業を決意したのも、2年前の春、ここでした。
 朝霞で開業してもうじき9ヶ月。今、さない耳鼻科クリニックはようやく医院としては軌道に乗ってきました。花粉の時期には、1日に100人近くの方々が来院され、なんとかそれぞれの方達の医療に対するご希望をつかもうと努力してきたつもりです。が、来院患者数が増えれば、待ち時間は長くなり、お一人お一人に割ける時間も限られてきます。耳鼻科として、どんなスタンスで診療を続けて行くのか、ここで、もういちど見直す必要があると思っています。
 花粉も下火になり、風邪の子供たちも良くなってきて来院人数が減り、今日は久しぶりにゆったりとした診察ができました。2年前に開業を決意したときの初心を思い出して、どんな小さな事もおざなりにしない、丁寧な診療を心がけようと改めて自分自身に言い聞かせています。

sakura2

2008年3月24日

坂の上の雲

坂の上の雲(司馬遼太郎)読了!!

 昨年末から読み始めて、途中で挫折しかけましたが、ついに文春文庫全8冊を読了しました。明治のはじめに同郷の四国松山で生まれた、正岡子規、秋山好古,真之の3人の生き様を、日露戦争をクライマックスとして描いた長編です。はじめの頃は、個人の生い立ちや、エピソードが中心となって描かれていて、ふむふむ、という感じで読んでいましたが、次第に司馬遼太郎は緻密な歴史家となって行き、膨大な戦争の資料と真正面から格闘している様が読み取れて、私も居住まいを正さなければならなくなっていきました。
 身を賭して、新政国家を守ってくれた無名の若者たち、精神論に走らず冷静に戰局を分析しながら、国の存続のために“戦争”を遂行して行った明治の指導者たち。司馬は再三、後の太平洋戦争(対米)の無謀さと比較しながら、事実のみを克明に列挙して行きます。
 戦争で亡くなって行った人たちの数や出身地や年齢や、砲弾、銃、戦艦の装備やらの数字をみていると、戦争は悲惨だ、戦争反対、と何百回聞くよりも、ずっと心に迫ってくるものがあります。逆に、こんな悲惨な目に国民が遭わないためには、しっかりとした展望を持った指導者のもと、しっかりとした国の備えも必要だろうと思いました。
 今の政治はいったい何をやっているんだろう。今の自衛隊はいったい何をやっているんだろう。
 4月からは診療報酬が大きく変わり、7月からは、特定健診なる、特定の業者さんが儲かるようになっている未だよくわからない健康診断も始まります。メタボリックシンドロームを前面に押し出して予防医学を強調する事により、結局は、今、困っている病者を切り捨てていく施策だと私は思っています。こんな大きな改革を進めているのは、明治の指導者のような、日本のために身を賭して尽くしてくれる人たちなのだろうか? 私は不安でいっぱいです。
 今日はちょっと、言い過ぎました。さない院長は少し疲れ気味です。

2008年1月04日

2008年、明けましておめでとうございます。

 皆様、どのようなお正月を過ごされましたか? 院長は、夫と二人で四万温泉に素泊まりしてきました。1泊だけですが、温泉だけの素朴な宿で、ふとんは自分たちで上げ下ろしする代わり、仲居さんに起こされる事もなく、20年ぶりぐらいにゆっくりしてきました。安かったし・・・。
 さて、年初の抱負を書こうと気づいてみると、11月、12月と2ヶ月もブログを更新していませんでした。時間の流れのはやさには、恐ろしいものがありますね。
 今日は、朝霞のこどもたちの鼻に巣食っている細菌について、少し触れます。
開院以来、鼻汁を主訴(一番気になっている症状)としてさない耳鼻科クリニックを訪れてくれたこどもたちの鼻汁にどのような細菌がいるのかを調べてきました。中耳炎を起こしたり、鼻汁がなかなか良くならずに、気管支炎を併発したりして抗生剤を使わざるを得ない時の参考にするためでした。驚いた事には、熱も出していないし、中耳炎もない元気なこどもたちの半数以上の鼻咽腔に、このブログの初期に触れた「耐性菌」が同時に複数検出されたのです。今、中央の学会では、このような耐性菌による中耳炎にどのような抗生剤を用いるかが盛んに議論されていますが、実際に開業してみて、学会での議論に少し違和感をおぼえています。ごく普通に鼻の中にすんでいる菌たちの中のどれが悪さをしているのか、限定することは非常にむずかしい。ホームページの改装が遅れているのも、「私なりの記述」が、時間が過ぎるとともにどんどん変化してしまうのも一因です。
 この冬、私は、基本的に、鼻汁が多いだけだと抗生剤を使わないようにしました。気管支炎を併発したり、中耳炎を起こしている子には、2種類までの抗生剤を使いますが、それでもだめなら、鼓膜切開を積極的に行っています。保護者の方たちには不安が多い処置かもしれませんが、鼓膜切開をしておいて、排膿の経路を作っておくと、中耳炎による高熱に悩む事はなく、抗生剤の服用も休止することができるからです。嘔吐・下痢症も流行していますので、たくさんのこどもたちの鼓膜切開をしました。でも、冬が終わればたいていは良くなりますから、もう少し頑張りましょうね。特に、生後8ヶ月−2歳までのお子さんは、この冬を越せば、来年はあれっというくらい楽になりますから。
 
 追伸:院長は、1/15(火)の午前中、東京女子医科大学で「喉頭疾患」の講義をしてきます。1年前から(開業前)決まっていた日程なので、皆さんには本当に申し訳ありませんが、ご了承ください。講義では、喉頭の解剖や機能の他、声帯ポリープ、喉頭がん、急性の喉頭蓋炎など、実際この朝霞で遭遇した様々な病気の話もしてくるつもりです。私の朝霞での経験が、将来の医師たちを育てる力に少しでもなってくれればとてもうれしいと思っています。

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